たまには、真面目な話をします。

 こんばんは、星野です。
 いつの間にか朝夜と涼しくなり、金木犀の香りが漂うようになりましたね。
 このところ、更新&コメントへの返信が出来ずすみません。ここ暫くのコメントへは返信出来ないと思います。(全て読ませて頂いております! 励みになります)
 ちょっと色々あり、なかなかできなかったのですが、そろそろ少しずつ、通常運転へ戻ると思います。

 さて、いつもは色々はっちゃけた感想文ばかりですが、今回は珍しく真面目な事を書いてみようと思います。
 いつものレビューではありませんので、興味のある方だけ、どうぞ。。
 この一週間、折りに触れ「終活」というもの、そして自分だけでなく送り出す側の立場について、その心のありようについて、考えを巡らすようになりました。
 ここ数年位から広まり始めた言葉ですかね、「終活」…。この言葉を見かけた時は、「就活だの婚活だの、何でも○活ってすれば良いってモノじゃあないだろーに(呆)」なんて思っていましたが、言葉の響きはともかくとして、老若問わず、ちょこっと真面目に考えておいても良い事なのかも知れない…と、ふと思うようになりました。

 ――そんな風に思うようになったのは、先日、父が亡くなった事がきっかけです。

 本当に突然でした。
 脳幹梗塞という症状で、倒れて検査をした時点で脳幹という脳の中でも大事な器官の殆どが機能を失った状態でした。
 病院ではすぐに手術のスタンバイをしてくれましたが、医師からは「回復の見込みは殆ど無く、場合によっては植物人間となる可能性も否定出来ないから、少しだけ考えてみて下さい」と告げられました。
 日頃、家族皆で、「いわゆる『脳死』と呼ばれるような状態になったり、そんな植物状態になる位なら、延命措置なんかはしないでそのまま逝かせて欲しいものだ」という話はしていました。私もそう考えていましたが…。

 いざ、選択を迫られた時、「このまま何もしなければ24時間以内に」と言われて、手術をしないでくれとは言えませんでした。
 CTスキャンの映像や医師からの説明から、素人目に見ても手術をしても回復の見込みは無いのだろうと分かっていても、手術をして下さいとお願いしました。
 その後すぐ、約4時間に及ぶ手術が始まりました。
 一睡もせずに病院のラウンジで一夜を過ごし、朝になって告げられたのは、回復の見込み無く、持ってあと2~3日、という結果でした。

 それから約1週間後、家族皆で見送る事となりましたが、その一週間、色々と考えずにはいられませんでした。
 今更言っても仕方のない事だし、こうなる覚悟もした上での選択だと分かってはいても、あの時、例え助かる見込みが0になったとしても、手術をしないであのまま穏やかに見送るという選択を、本来はするべきだったのかな…。と。
 日頃話をしていても、いざ自分がその選択をする家族の立場となった時、そんなに容易く割り切れないものなのだな…、と。
 意識も回復せず、人工呼吸器と薬で生きているだけの状態で1週間。…本当に、これで良かったのだろうかと。
 苦しむ事もなく、家族皆で見送る事は出来ました。例え意識が戻らなくても会話も出来なくても、一週間という時間で、こちらは多少なりとも覚悟のようなものは出来たと思いますし、それはせめてもの救いでした。でも、それはあくまで「残される側にとっての」救いであって、本人にとっては、どうだったのだろうと。

 夜中の病院は、不思議と怖いとかそういう事を感じる事はなく、寧ろとても奇妙な感覚がありました。
 交代で仮眠をとりながら病室で付き添っていた時、夜の長い時間を持て余してラウンジへ出た時、産まれたばかりの赤ん坊の泣き声が、産婦人科の病棟の方から聞こえてきた事もあります。
 夜の静かな病棟なので、その声はよく響きました。
 ひっそりと一生を終えようとしている人がいる一方で、生まれ来る命もあるんだなと。

 夜遅く、初めて病院の霊安室へ入った時、哀しさよりも何よりも、何とも言えない寂しさがありました。
 人一人を見送るというのは、こういう事なのだと。…出来る事なら何度も「見送る立場」では行きたくない、と思ったものです。もう、それこそ次にそこへ行く時は、自分が見送られる側がいいなとも。

 それでも時間は進みます。…慌ただしく葬儀の準備をする中、葬儀に関する事など色々調べていた時、「終活」の一環として「エンディングノート」なるものを作る人が増えているらしい、という記事を目にしました。
 自分に何かあった時、
 ・延命措置はして欲しいかどうか。
 ・臓器提供はOKかどうか。
 ・葬儀はどうして欲しいか。
 ・連絡して欲しい友人・知人はいるか。いるとしたら、その連絡先等
 ……等々を遺しておけば、残された家族にとっても助けになる…なんてありました。

 確かにそうだと思います。しかし、これって決して、「自分一人で勝手に決めてはいけないもの」なのだろうな、とも思いました。
 あくまでも私のケースになりますが、家族間で話していてさえ、上述のように、私は結局「手術してください」とお願いしてしまいました。(尤もあの手術は、今思えばもはや『延命措置』と呼べるものですらなく、本当に、目の前の命を救う『救命措置』に近いものだったのだろうとは思いますが) 
 人生の最後を迎える時、出来る限り本人の意思に沿う形とするのは、理想なのかも知れません。でも、残される側が、それを全て受け入れられるかどうかは、別の問題ではないか…と。
 
 葬儀も初七日も終えて、ふと振り返った時、自分の最後ってどういう風に考えておくべきだろう…なんてふと考えました。
 色々と残しておけば、遺された家族への愛情を知らせる事も出来るでしょうし、家族が慌てる事も無いかも知れません。まして人が人生を終える時、お互いに十分なお別れを告げる時間があるかと言えば、そんな時間もなく、突然に、という事だってあるでしょう。もしかしたらその方が多いかも知れませんから…。

 こういった話は、お互い元気な時にしておくのが良いものだ、なんて母が言っていました。縁起でも無い、とか不謹慎だ、っていう考えになりがちですが、上に書いたように、人生の終わりって、本人ですらそのタイミングを知る事は分からないのですから。
 本当に具合が悪くなってからでは、逆にそんな話はなかなか出来ないものです。

 終活と一言で言うけれど、誰の為の終活なのか。残される人には、自分にとってどういう立ち位置の人がいるのか。
 そして残される側はそれを知った時、きちんと覚悟が出来るのか。…仮に受け入れられなくて、結果として故人の遺志に必ずしも沿わない事になったとしても、それを責める事は誰にもできないのだろうと、そう思うのです。

 …こういった諸々をちゃんと考えた上で、一人で考えるものではなく、近しい人と日頃から一緒に話して考えておくのが、何冊のエンディングノートにも勝る事なのではないか…、と、ふと思いました。

 葬儀が終わってから、少しほっとしたと同時に、亡くなったその瞬間よりもむしろ、寂しい気持ちが今更のように募って来ます。
 今でもあの時、手術をして下さいとお願いした選択について、思う処も無い訳ではありませんが、お経を上げて下さったご住職が、葬儀が終わった後に仰っていた言葉が、今は少しだけ救いです。

「葬儀であったり四十九日であったり、そうした儀式は、あくまでも残された方々が、故人様を『忘れないでいる』事をお届けする為のものです。一番大切なご供養は、残された方々が、ずっと故人様を忘れずにいる事、そして、健康で笑顔で過ごす事。これが一番のご供養になると信じています」

 生きている人には、まだこれから先の時間があります。
 だから、ただ哀しんだり悔んだり、寂しがるだけではなく、ちゃんと前を向いて歩いて行かなければなりませんね。
 
 もう少し経ったら、通常運転に戻ります。
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ご愁傷様です

こんにちは。お父様が亡くなられたとのこと、さぞ気落ちされていることと思います。お悔やみ申し上げます。

私も親が70を超え、相続の話や葬儀の話などもするようになりましたが、それらは親が亡くなった後のことであり、亡くなるかもしれない状況については話し合ったことはありませんでした。星野さんの記事を拝見して、話し合っていても決断は難しく、話し合っていない場合はさらに苦しくなるであろうと思いました。それでも、その話は余計に親の死を予感させるようで気が乗らず、次親に会うときに話せる気がしません。

終活は逝く人の心残りをなくすために、葬儀等は残された家族の心を癒すために、それぞれ行うものだと改めて感じました。突然のこととのことですので、お父様とのお別れを覚悟するための時間が必要だったと思います。それはお父様も同じであり、意識はなくともご家族のお話しを聞くことができたのであれば、手術を選択されたことは間違っていないと個人的には感じました。

星野さんが感じられている寂しさや悲しみを推し量ることはできませんが、改めてご冥福をお祈りするとともに、星野さんのお心が前に進まれるよう願っています。

なお、返信はご無用です。

お悔やみ申し上げます

星野さま
お父様のこと、心からお悔やみ申し上げます。お疲れになったでしょう。無理なさらず、少しでもゆっくりなさってください。

私自身も父を約10年前に亡くしました。倒れた時には既に手遅れで、根治ではなく生活の質向上のための手術をして、いったん退院できましたが数ヶ月後に再び入院。間もなく息をひきとりました。
いまだに治療に関しては「ああしていれば、こうしていれば」と思いますし、葬儀だって、あれでよかったのか?との思いが尽きません。
親孝行が足りなかったよ!時間を戻してやり直したい!と夜中に叫びたくなります。
周囲もみんなそういう感じで…親を亡くした人で、何も悔いのない人に、私はいまだに会ったことはありません。

ですがある時、自分が父の立場だったら、家族を恨むだろうか?と考えてみて、いやいや、ベストの道だと考え抜いて決断してくれたことに、感謝こそすれ、恨むなんて…と思えました。その時少しだけですが、後悔は消えないながら、光が差してくる気がしたのです。

終活をしていようと、そうでなかろうと、最期は人の手に任せるしかないんですよね。任される側になったら、正解のない問題を引き受けるしかない。つらいですが…

役に立たない独り言を延々と書いてしまいました。返信や更新などはお気になさらず、どうかお身体に気をつけてくださいね。

お悔やみ申し上げます。

お父様のご冥福をお祈り申し上げます。私も伯母が今秋亡くなり葬儀に出たばかりでした。 私の両親も高齢でいつその時になるかわかりません。 星野さんのような場面になったらどうしようかと。。。

 年老いた者が先に死ぬと限らない。私とていつどうなるかわかりません。 生きていれば必ず迎えがくるという事は戦国時代も今も等しく受け止めるべきことをきちんと自分も考えようと思いました。 そんなに若くないのですから(笑)。

お疲れ様でした

大変だったのですね。何と言ったら良いのか、言葉が見つかりませんが、本当にお疲れ様でした。

ただ、後悔の無い、正しい選択肢なんて誰にも解りようがないと思います。
その時必死で考えた結果なんですから、それを悔いる事は無いですよ。

お疲れの中の報告ありがとうございました。
まだまだ色々と大変だと思いますが、少しでも早く気持ちが落ち着かれますように。

大変な日々を送られていたのですね…。

星野さんの今回の更新、とても心に染みました。

例え生前に家族と話し合っていたとしても、またはエンディングノートを残していても実際「その時」が来た時、決めた通りに行動出来るなんて出来るのでしょうかね…。自分には自信が無いです。

1分1秒でも一緒にいられるなら…。
自分もきっとそう考えると思います。
心の平和が訪れるまで時間をかけてゆっくりと、歩みを進めて頂きたいです。
プロフィール

星野 海紀

Author:星野 海紀
徒然なるままに様々な事を書き綴っています。現在は「キングダム」&「ゴールデンカムイ」、「テラフォーマーズ」に熱いです。他に聖闘士星矢や遊戯王、旅行記等、話題の範囲は広いです(笑)

連絡先:natch.2002ina★gmail.com (★をアットマークに変えて頂ければと思います)

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